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ツェルマット・スキー日記:7日目

ツェルマット〜東京(移動日)

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ツェルマット
ホテルの女主人?とても親切だった
ツェルマット
帰りの電車。あたりは薄暗い
カートレイン
帰りの途中、カートレインにバスごと乗る。
山の道路は登り1車線のみ。下りは電車の
線路を利用するのだ。バスの車内から撮影
 さて、今日は移動日のため、早朝に出発する。天気は少しずつ下り坂だ。雨(雪)の翌日から滑り始め、雨の日に去るのは、前後の行程の人たちに申し訳ないくらいだ。
 今日はクリスマスであり、昨日まではホテルもガラガラだったが、今日からの客はえらい多くなるという。日本人も昨日ツェルマット入りして、今日から滑り出す人が多いという。なにしろ我々の週よりも客が3倍もいて、ガイド一人で20人以上見ることになって大変だとのこと。
前日の夜、ホテルの女主人とおぼしきおばさんが、早い朝食と、ランチのサンドイッチを作ってくれた。「日本から来た?私の息子はツァオーでスキー教師をしているよ。」ん?ツァオー?そう、蔵王はZAOであり、ドイツ語ではツァオーと発音するのだ。Zurichはチューリヒと言うように。私が日本にはこんな氷河は無いというと、おばさんは、蔵王のモンスターのような樹氷は見たことが無いという。おばさんはとても親切で、客が少なかったせいもあろうが、何かと世話を焼いてくれた。英語もうまい。旅先では、最も記憶に残るのは、人の親切ではないだろうか。
 迎えのタクシーが来た。空は薄暗く、ツェルマット駅前の照明はまだついていた。空はどんよりとしており、いつもの方角にマッターホルンは見えなかった。
 いつの日か再びツェルマットを訪れることがあるかも知れないが、その時はまた氷河の向こう、テオデュル峠を越えてイタリアへ行こう。
(後記)
 帰国しても、テオデュル氷河でつくった顔の凍傷は消えなかった。つまり、聖飢魔Uのような顔になったのだ。街中では注目されるので、マスクをしていたが、なにせ広告代理店でプランナーをしていて、プレゼンテーションをしなければならないので参った。プレゼンの日にはファンデーションを重ね塗りしたり、えらい騒ぎであった。病院では血行をよくする薬と、ステロイド剤をもらったが、血行が良すぎてニキビができてしまい(30超えたら吹き出物と言えとクレームが入る)、人生真っ暗であったが、2ヶ月後、やっとおさまった。以来、スキーでは日焼けしそうになくても、クリームは塗るようになった。とんでもないお土産であった。
tip 
 (1)旅行会社は、「日程」「価格」「ガイド日数」「宿泊ホテルの格付け」を一覧表にして、比較すること。とりあえず、数社に絞り込まれるだろう。私は10日くらい前に突然、休みが取れたので、多くの旅行会社では締め切りを過ぎていた。F社はOKだったが、一人部屋の追加料金が68,000円もして、他社の一人部屋追加料金と比較しても理不尽としか思えなかった。インターネットでホテルの料金を調べても納得がいかなかったが、今さら一人で全てを手配することもできず、泣く泣くF社にした。現地で理由を聴いたら、「でも、食事はおいしいんですよ」と、シュールなこたえしか返ってこなかった。旅行会社選びは慎重に余裕を持っていこう。
(2)到着しても、スナック類のような食べ物は、大量に買出ししないほうがいい。夕食はいつも大量で、デザートは鬼のように甘い。これはどこのホテルも同じだ。
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ツェルマット・スキーの概要
日記:1日目(東京〜ジュネーブ〜ツェルマット 移動日)
日記:2日目(ゴルナグラート〜シュヴァルツゼー)
日記:3日目(クラインマッターホルン〜チェルビニア)
日記:4日目(ヴァルトゥールナンシュ〜チェルビニア)
日記:5日目(スネガ〜ロートホルン +そり遊び)
日記:6日目(チェルビニア〜テオデュル氷河)
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