レイクタホ・スキー日記:6〜8日目
観光&移動日
(レイクタホ 〜 サンフランシスコ 〜 東京)
サンフランシスコの危険な店
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■世話になったレイクタホ・イン。後ろの
山はヘブンリーだ |
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■リノの空港にはオリンピックの記念
の像が・・・ |
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■きれいな町だ
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■定番のフィッシャーマンズワーフだ
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■これがそのシーフード。
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スキーそのものは昨日でおしまいである。それにしても、最初に成田空港でどうなるかと思った割にはとても良かった。
最終日はオプションでサンフランシスコの半日観光である。まずリノの空港へ。さすがカジノの町だけに、空港内にはスロットマシーンがズラリと置いてあった。村里先生はためしにやったら少し勝ったようだが、あっというまにスッてしまった。
サンフランシスコに到着すると、現地手配の運転手兼ガイド(日本人)が案内をしてくれた。まず最初に行ったのが町を見下ろせる高台の展望台だ。
実をいうと私はサンフランシスコは2回目なのだが、専用のワゴンがあると実に効率的に観光できる。前回は一人でバスやケーブルカーで観光したのだが、この高台は移動手段が乏しいので、訪れなかったのだ。うん、なかなかいいもんだ。サンフランシスコの町がコンパクトにまとまっているのが分かる。だが、地図を片手に外人(おっと、私のことだ)に道を尋ねながら歩くのも楽しかったが。
一行は定番の金門橋に寄り、フィッシャーマンズワーフで昼食、中央広場や中華街を観光した。
街中を走っていた時の下りの急坂で、信号機のだいぶ手前でワゴンが止まるので何だろうと思ったら、青になると同時に急発進し、信号のやや先、上からは見えなかった急坂を勢いよく駆け下った。マイナスの重力で少し浮いた気がしたが、仲間の高齢の人、女の子、誰も何も言わないので、「普通はここでみんな悲鳴や歓声を上げるんですが、何なんですか」とガイドが呆れていた。そう、みんなスキーをしてきたばかりなので、このような感覚には慣れていたのだ!。
だいぶ時間があるので、ホテル(ラマダホテル)から路面電車で中心部へ。デパートを数軒まわり、もう一度中華街を見て戻る。
夜はみんなでフィッシャーマンズワーフに行くことにした。村里先生が前回行ったことがある店だという。タクシーに乗ったら、韓国系という運転手が、いい店がある、と言ってフィッシャーマンズワーフの入口の角の2階にあるレストランに案内した。
私は海外旅行では、向こうから話し掛けてくるタクシーの運転手は基本的にポン引きであると仮定した方がいいと思っている。タクシーを降りて店まで案内するなんて、あぶないんじゃないの?。でも、大きな店だ。そこでみんなでシーフードを食べる。うまい。香辛料がとてもきいていて、特にニンニクがすごかったが。
支払いの明細を見て、村里先生が「あっ、高い」と叫んだ。ホレ見なさい。私はお酒を飲まなかったのに1万円近く払ったから、お酒を飲んだ人たちはどうだったんだろう。
翌日は完全に移動日である。成田へ向けて日付変更線を越えた。
帰国後、先生からはメールのやりとりなどをした。最近はご無沙汰だ。先生、お元気でしょうか。先生のおかげでとても楽しかったです!。
ところで、外国では本当にタクシーには気をつけよう。メーターは絶対に倒させよう。ワシントンに行った時、相場をごまかされて、1000円くらい多く払ったが、後で分かって気分が悪かった。たとえ1000円でもだ。
シンガポールに行った時、「メーターがこわれてるんだよ。セントーサ行きロープウェイ駅までなら○○ドルだ」と言われて乗ったが、たとえ日本より割安感があってもここの相場では高い。この国は警察が強くて、ナンバープレートをメモるだけでもビビルというのを駐在員に聞いていたので、運転席のメーターを倒していないのを後ろから写真に撮ったらパニックを起こし、「メーター、動き出したよ」と言って途中からの料金しか取らず、しかも下車後、車の中から「ねえ、さっき写真撮らなかった?」と泣きそうな顔をして聞いてきた。
バンコクで空港から中心部へのタクシーに乗ったら、運ちゃんがさかんに「レディ?」と聞いてくる。「準備できたか?」の意味かなと思ったが、表情を見て、それはLadyだと分かった。どこへ連れていかれるか分かったもんじゃない。「No!」ときっぱり断ったら、「ボーイ?」と聞かれた。
国内であっても、油断はならない。安比の帰りにあった、盛岡でのタクシー運ちゃんケンカ事件を読んでね。
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