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バッヂテスト物語(第二話:風雲編)

 1級取得を公言したところ、親身になってくれたのは、1級を持っている部長だった。「合格したければ、特訓だ!」すぐに有志(親切心によるとは限らない)が集まる。北海道に行った翌々週には1泊のスキー合宿となった。祝日の前日、会社が終わった後、各自が車で蓼科にある保養施設に集合。1泊した翌日、エコーバレーに行った。

 たまげた。ものすごい込み方だ。おまけにリフトがとんでもなくのろい。岩岳、カムイ、富良野はすべてゴンドラがあり、1回乗れば1時間は楽しめたが、ここは短くてあっという間に終わってしまう。おまけに最近目に付くようになった「スノーボード」という、およそ雪山にはあわない道具で滑る連中がここでは目につく。だいたい、こちらはスキー板、ストックを持って必死に滑っているのに、手ぶらで1枚の板の上に乗って脇をスイーッと抜かれると、おちょくられているような気がするものだ。さらにはリフトの並び方もアナーキーである。おかしな割り込み方をするのもいて、それは関西弁を話す者が多い(偏見ではない。観察結果である)。

  上部のペアリフトの並び方はさらに半端ではない。並ぶためにはるばる東京から時間とお金と労力をかけて来たようなものだ。学生とおぼしき集団はキレて、みんなで板を担いでリフト脇を登り始めた。これでは時間がもったいない。知る人によると、ここは町営なので、顧客サービスとかマーケティングというものには関心が無いらしい。いやなら来なくていいわいということか。よし、二度と来るか。最上部からは正面にモッコリとした雪をかぶった山が見える。「きゃー、富士山がきれい」と歓声をあげて周囲10mの人たちを凍りつかせる女の子もいるが、これは蓼科山だ。景色だけは良かった。
 
 帰りの車の中で部長から「ロングコースを思いっきり滑るなら、妙高国際がいいよ」と言われた。ここで、スキー場にはそれぞれ個性があるのだなと気づく。ゴルフコースのようにどこもだいたい同じ、というわけではないのだ。
  
 翌年、板を買う。フィッシャーの190cmだ。私の身長(173cm)から見れば少し短めか。でも、果たして乗りこなせるのだろうか。買ってしまった板をじっと見つめて、不安になる。そしてシーズンイン。いきなり12月に札幌国際とテイネへ行って足慣らし。1月には、ガーラ湯沢でスクールに入る。
  女性の先生であった。私の腰の向きの悪いのがなかなか直らないのに業を煮やし、ストック1本のストラップをもう1本の先端に引っ掛け、このV字になった2本のストックで私の背中と腹を挟んだ。そして、「はい、上体をひねらないで」なんて大声をあげながら並んで滑るのだ。美女と野獣であった。私は必死だったが、周囲の客に、スクールの丁寧な指導を宣伝するには役に立っただろう。

 翌週、神立高原へ。もちろん、スクール1日コースに入る。ここのスクールの技術は申告制だ。パラレル目標班に入る。10人いた。これをテストで2班に分けるのだが、1人だけ初心者が混じっていた。そのため、そっちはマンツーマンになり、私は9人の班になってしまった。もし、今でも申告制ならば、おもいっきり上級班に申告した方がいいようだ。

  ここでは、自称「加勢大周」という先生に教わる(私の方が似ているわい)。レッスンでは、重心の置き方や、きちんと板に乗る練習をメインとする。たとえば、緩斜面を滑りながら、両足を揃えてピョンピョン跳んだリする。止まっている時には簡単にできるのに、滑っている時にできないのは、うまく板に乗れていない証拠なのだ。フムフム。
 午後のレッスンではウェーデルンを教わる。できるわけ無いが、シュテムからはいる練習方法を教わる。そのメソッドは、「パズル」であるという。板を後ろに「パッ」と開き出して、「ズルッ」とずらしながら滑るから「パズル」という。フムフム。「スキーの基本は外足荷重」「ターンの要素は、荷重、角付け、回旋」といった基本を勉強する。神立は混雑していたが、スクールはリフトの優先乗車できるので、結構、充実していた。
  先生からは、「素直で、言われたことがすぐに直っている」と誉められた。スキーを始めてすぐにスクールに入っているので、変なクセが染み付いていなかったのがよかったのだろうか。人にはそれぞれのクセがあって、私が見ても「このクセは直すのが大変だろうな」と思うようなものもある。
 
 出向元(原籍)の会社の有志のスキー大会で、猫魔に行く。ここでも半日だけスクールに入り、別行動をとった。みんなとトロトロ滑っていても、上手くなれない。ここでは、外足に乗る練習と、緩斜面での練習を教わる。たいていのスキー場の下の部分は緩斜面で、棒立ちになって滑る人が多いが、その時も無駄なく練習しようというものだ。スケーティングやクロスボーゲン(片足ボーゲン)、稲妻ターン(角付けだけで曲がるターン)などを教わる。
 あまり間隔を置かずにスキーをしているせいか、少しは上手くなった気がする。そして3月には、いよいよ合宿制のスクールに入ることにした。

  少しスクールの話をしよう。普通、スクールとは、その日にいきなり申し込んで、半日または1日(1レッスン2時間、1日なら2レッスン)の単位でレッスンを行う。2時間で3000円くらい、1日コースにすると安くなり、2時間2コマで4500〜5000円くらいだ。ただし、プライベートレッスン(マンツーマン)は1時間で6000円以上になる。1人の教師には生徒5〜6名というのが多いが、大人数だと10名くらい、少なければ1名だ。1名の場合、たいていレギュラー料金のままやってくれるので、おおいにラッキーだ(今まで拒否されたのは、グランデコのSAJだけ)。すいている平日にスクールに入るのも、それなりのメリットがあるものだ。
 
 合宿制のスクールとは、スクールが1泊2日、2泊3日などの日程で、同じ教師が通しで教えてくれるものだ。ホテルとタイアップしている場合が多く、宿泊食事込みの料金になっている場合が多い(男女別相部屋になる)。通常のスクールの半日コースだとワンポイントアドバイス的になりやすいが、合宿では、教師が生徒のクセを十分に知るので、運動要素までブレイクダウンして、じっくりと根本から直してくれる。また、夕食後はホテルの一室でビデオミーティングをする場合も多い。この合宿制は、なぜかSIAという団体が主催しているものが多く、志賀高原や菅平には10以上ものスクールがある。興味がある人は、インターネットやスキー雑誌で調べてみて。
 ちなみに、宗教の宗派のように、スクールにもSAJとSIAがあり、前者は堤氏を頭に、オリンピック選手までを含めた一大勢力で、バッヂテストの主催団体でもある。たいてい1つのスキー場に1つは存在する。SAJとSIAの話を始めると、宗教論争に発展してしまうのでやめるが、内容的に大差は無く、我々は、バッヂテストはSAJで、合宿スクールはSIAと覚えておけばいいだろう。半日・1日の通常スクールは両者とも行っている。
 さて、日程とにらめっこして、私が決めたのは、菅平のSIA、「セッションスキースクール」の1泊2日コースだった。
 
 まず1日目は午前中だけ全員で滑る。午後にクラス分けだが、女の子ばかり8人くらいの初級班と、男ばかり3人の上級班に分かれた。初級班を脱したのは内心嬉しかったが、もう2人は、昨日菅平で合格したという2級君と、先週、黒姫で合格したという1級君だ。レベルの差は明らかだった。いきなりビデオ撮影をするという。
 裏太郎のシーハイルゲレンデ(最大22度)は断崖のように感じられた。そこをウェーデルンをやれという。ゲッ!できるわけない!。さすがに1級はうまい。いい音を立ててまっすぐきれいに降りていく。2級もうまいが、後ろから見ていると、板が横になっている時間が長いように見える(つまりズレが多いということだ)。全体的な印象として、やはり1級と2級の差があるなと感じた。さて、私の番だ。イメージを同じくして滑り出したが、1、2、3、で転倒してしまった。
 
 夜のビデオミーティングでは、自分の転倒ビデオをみんなで見るのはつらいことだった。裁判の被告人のような気分だ。ビデオは言い訳のしようもないが、自分の悪いところを直視すると、次の目標がはっきりする気がした。「真実を見つめることから希望が生まれる」とケ小平も言っていたではないか。しかし、自分のイメージとはだいぶ違っていたなあ。私があまりにも残念そうにするので、先生(岩崎先生という熱のこもった先生だった)も「スキー、やめないでね」と言わんばかりに心配して下さり、色々なアドバイスをしていただいた。まずウェーデルンを覚えようとするあたりから、リヤエントリーのブーツでは難しいという。

  その他、道具の選び方から手入れの方法まで実に得るものが多かった。今考えてみれば全く基本的なことばかりだったが、私は学生時代にスキー部にいたわけでもなく、身近にスキーについて教えてくれる人がいなかったので、本当に必要なことばかりだった。(これについては伊東秀人デモと村里大先生を驚かす事件があった。最終章で。)なお、このスクールではビデオをダビングしてくれる。転倒シーンのビデオは今では宝物だ。
   
 この冬からはスキーに行きまくった。毎日の残業に、休日はスキーのため、冬場はほとんど家にいなかった。親はどうせ長続きするわけないと思っていたようだ。スキーに行くというと、「葬式を挙げてから行け」とからかっていたが、私の執念にあきれて何も言わなくなった。私も当初はバッヂ1級といいながら、次第にスキーの面白さにのめりこんでいったようだ。
 このシーズンは雪があったので、4月にはかぐら・みつまたで練習し、GW前に天元台で締めくくった。家では、自分でホットワックスをかけるようになっていた。フィッシャーの板にはベースワックスが塗られ、翌シーズンまでエッヂを休めることとなった。
バッヂテスト

雪がある時期なら、菅平のSIAのスクールはお勧めだ。志賀高原にも10以上あるが、遠いので、最終日は帰りの時間を考えないと大渋滞に入る。私はできるだけ月曜日に休日出勤の代休などをあてていた。菅平も、おかしな時間に帰ると佐久平の1車線による渋滞に巻き込まれるので、日曜日は帰りのタイミングに気をつけよう。
⇒現在寒風山トンネルは2車線になり、渋滞の名所ではなくなりました。
 (第1話:立志編)  (第3話:疾風編)
   
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