─── バッチテストとは何か ─── ─── それはおそらく、バッヂテストの誤りである |
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私はスキーが嫌いだった。学生時代はチェスに没頭していたし、会社に入ってからもスキーをすることなどなかった。会社では組合のスキーツアーも含めて、誰から誘われようと、見向きもしなかった。「寒い時に寒い所へ行って何の意味がある」「スキーなど自然破壊である」「めんどくさい」「金がかかる」「混雑している」といった、ネガティブな評価しかしていなかった。 しかし、グループ企業のシンクタンクである研究所に出向となった時、状況が変わった。そこの某部長はSAJ1級を持っており、夏はゴルフ(アンダーパーでまわったこともあるらしい)で冬はスキーという、スポーツマンであった。その影響か、若手はスキーをする者が多かった(スノーボードはまだ奇異な目で見られていた時代だ)。 そして冬になって共済会のスキーツアーの案内が廻ってくるや、「行くぞ」の一声で招集がかかるのだ。「清水君、君も行かなくちゃだめだ」「僕はやりません」「いいから、仕事のうちだ」そして周囲の女の子からは「えー、やんないのー?」と、軽蔑の目でみられる始末だ。出向したばかりで付き合いも大切にしなければと思い、信念を曲げて1回くらいはスキーへ行ってみるかという一大決意をしたのであった。 行き先は白馬岩岳であった。1回でやめるつもりだったので、借り物のブーツ(サロモンのバコバコのリヤエントリー)に、借り物のウェア、手袋、ゴーグル。板はレンタルで、自分で用意したものは何もなかった。 |
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すべてが新鮮だった。夜行電車(シュプール号)で白馬へ。夜中だというのに、列車はスキー客で満員だった。つい先日までは夜中に駅でスキー板を担いでいる連中を見て、いったいどういうやつらだと思っていたものだが、今日はその「どういうやつら」へのデビューとなった。そして早朝、白馬に到着。いきなりゴンドラで山頂へ行くという。岩岳のゴンドラは背中合わせの6人乗りだ。ゴーゴー音を立てながら雪に包まれた樹木の上を通過していくだけで、緊張してしまった。「もう、後にひけない」と覚悟を決める。 ゴンドラを降りると実に爽快な空間が広がっていた。天気は快晴で風も無く、今考えると、もうこれ以上望むべくもないようなコンディションだった(その時は、スキーはこれが当たり前だと思っていた)。
さて、どうするのかな。するとオヤジたちはいきなり部長を先頭に、ゴンドラを降りて左側の身の毛のよだつような(その時私にはそう見えた)斜面をスーッと滑り降りていくではないか。ゲッ、ついて行ったら死んでしまう!。腰が抜けそうになる。会社では決して無かった尊敬のまなざしで呆然と見送るしかなかった。 |
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翌年、やはり共済会でスキーに行く。よし、スキーを自分の趣味として大切にしよう!と決心し、用具をそろえる。ものの本によると、板に関しては初心者のうちは自分の身長と同じくらいのものをレンタルした方が回しやすく、慣れるのが早いという。慣れた所で、自分の身長より15〜20cm長いものを買うのがいいらしい。ちなみに私は自分のスキー歴を言う時は、この年を1年目としている。ウェアもエレッセのオレンジ色を主体とした派手なものだ。ブーツは、弟から借りたサロモンのリヤエントリーだ。 気合をいれまくり、早朝、羽田から旭川へ。昼にはカムイスキーリンクスに到着。ここはセントバーナード犬にスキーをさせることで有名なスキー場だ。とりあえずみんなで滑る。後頃を直そうと前傾したら、「腰だけ折れてる」「じいさんみたいだ」と言われ、やがて「遅い」「早くしろ」になる。 翌日は、富良野へ。ここには日本でも屈指のすばらしいロングコースがある。が、それどころではない。午前中にゴンドラ2本が限界であった。それも1本滑るのに、1時間はかかったのではないだろうか。遠くの目標を見定めて、「よし、今度はあそこまで止まらずに滑ろう」と目標を立てながら滑った。緩斜面になると滑りながら片足をあげて、片足ずつ休ませるほど疲労していた。それでも脇を気持ちよさそうに、そう快に滑っている人たちを見ると、早くああなりたいものだと思った。 思うだけではいけない。行動に移さねばならない。 翌日再びカムイに行き、ここで初めてスクールに入る。準備体操の後、クラス分けをやることになった。ほんの20mほど滑る。その結果、女の子ばかりの班になった。これは、喜んでいいのだろうか?小学校2年生くらいの子までいるではないか。 このクラスは何をやるかといえば、プルークボーゲンの練習であった。ハの字の練習である。トレーン(全員が先頭の教師の後をなぞるように、一列になって滑る)で滑っていたら、その小学生の女の子が転んだ。私は最後尾を滑っていたので起こしてあげたら、近くにいた女の子の親が近寄ってきて、「先生、この子はきのう初めてスキー板を履いたばかりなんですよ。よろしくお願いします」と言ってきた。先生?私が?そう、派手なウエアでカッコだけはうまそうなので、助手か何かと間違えたのだろう。まさか、いい年こいた男がスクールに入り、昨日スキーを始めたばかりの女の子と同じ班に分けられて、いまさら一生懸命ボーゲンを練習しているわけが無い、という先入観もあったのだろう。おまけに、会社の同僚が遠くから私のレッスンを見ているではないか。白い歯が見える。応援しているのではない。見物しているのだ。ええい、見たけりゃ見ろ、笑いたきゃ笑え。 その日は東京に帰るので、旭川空港で夕食となった。私のレッスンも話題にされた。「体が固い」「ひざをやわらかく」そら、始まった。ここで私は、「よし、見てろ、1級をとってやる」とタンカを切ったら、大笑いとなる。「1級って、スキーの?簿記?英検?」「まず、2級取んなきゃ」「5級からありますよ」ようし、いつか必ず取ってみせる。 飛行機が離陸するころには、空は透き通るほど暗く、無数の星が輝いていた。私はその中で、ひときわ明るく輝く星に、1級合格を誓ったのであった(マジ)。 |
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