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バッヂテスト物語(第三話:疾風編)

 94〜95年シーズンは、勝負の年であった。出向していた研究所の勤めが終わり、仲間から別れ際に「そういや、1級どうしたんですか」「もう、2級で許してやるよ」とか言われた。私がコソコソとスクールに入っていることは研究所には内緒にしていたのだが(言えば、後輩のKあたりからヤンヤ言われるのは分かっている)、なあに、今に見ていろ。

 このシーズンの気合は、ブーツにある。シーズン終了後、値段が安くなったコフラックのデモタイプのブーツを買ったのだ。フロントバックルで、しまりもよさそうだ。これならきっと、ウェーデルンも楽勝!だといいな。滑ってもいないうちから、マリンブルーに怪しく光るブーツが頼もしく、ほれぼれしてしまう。ランドセルを買ってもらった小学生のころを思い出した。はやく雪が降らないか。

 このシーズンは11月から谷川岳天神平に行く。足慣らしなのだが、おかげでブーツの当たりも分かったので、ブーツ慣らしにもなった。ショップで、当たる部分の再度出し直しをしてもらう。自分の足が結構、幅広甲高の日本人の足であることが分かる。
 12月に志賀高原のSIAのスクールに入った。熊の湯のリーベルマンというスクールだ。この頃は高速道路は佐久平までしか開通しておらず、志賀高原は車で行くのはつらいので、夜行バスで行った。秋葉原の夜行バス乗り場に行ったが、12月第1週はまだ、まともにオープンできるスキー場が少なく、閑散としていた。しかし、志賀だけは雪が早いので、客が多かった。標高が高いということは強みだ。初めて行く志賀を頼もしく感じた。
 朝方6時ころ到着。夜行バスは疲れる。宿泊予定のリバーサイドホテルへ行き、仮眠所でゴロ寝する。8時ごろ起きて、スクールのカウンターで入校手続きを行う。雪は申し分なくあった。これからも、シーズンはじめは志賀にしよう。

 12月からスクールに入る人は少ないのか、生徒は私と女の子1人。先生は2人いたので、マンツーマンになった。名前は失念したが、SAJの正指導員の資格も持っているという先生だ。すごいラッキーだ(普通、正指導員にマンツーマンでは、1日だけで、このツアー全体の料金以上取られる)。
 まず、最初に斜滑降をやる。足を平行にして、斜面をほぼ真横に、標高差をほとんど使わずに滑る。ここできれいな線が2本できないと、エッヂングが甘いということだ。ひざを入れて、細いシュプールができるように滑る。ズレとキレの違いが分かりやすい。また、「おまじない」を教わる。斜面に真横に立ち、エッヂを緩めれば、真横に向かって横滑りをするが、これを山足だけでやる。うまくバランスが取れないが、そのうちうまくなるだろう。先生によると、デモンストレーションをする前にこれをやると、足首のしまりがよくなるという。
 困ったのは、先生が「山腰残して!」とか、専門用語を使うことだ。さっぱり分からない。説明を聞いても、その説明が分からない。うーん、参った。でも、そこはマンツーマンで、あれこれ練習をするたびに、自然とおかしな所が修正されていった。マンツーマンは、おかしな点があると、その部分を個々の運動要素に分解して、一つずつ、丹念に直そうとしてくれるのでいい。グループでは、他の客もいるので、適当なところで妥協して、いろいろなことをやらなければならない。
 夜はビデオミーティングだ。みっちり指導を受ける。翌日もマンツーマンの特訓が続く。とにかく、パラレルの特訓だ。充実した特訓であった。帰りは送迎バスで湯田中へ。電車で東京へ帰る。新幹線はまだ開通していなかった。

 この年の年末年始は、会社のスキー大好きの先輩に連れられ、初めての海外スキーである、カナダのウィスラーに行った。詳細は海外スキーレポートに譲るとして、やはり広大なスキー場や雪との触れ合い方については、新鮮で、考えさせられるものが多かった。貴重な経験だった。これらについては、他のエッセイなどで紹介する。

 さて、そろそろ2級を取らないと。合格するには、ウェーデルンがまだダメだろう。でも、何点取れるか、点を知りたくなった。
 ここで、バッヂテストについて簡単にお話しよう。
 バッヂテストは1級から5級まである。スキークラブでは子供には3級くらいから受けさせたりするが、一般人は普通は、2級から受検するものだ。それに、1級受検のためには、2級所持が条件となっている。
 2級は、私の受検年度で言えば、バラレルターン、ウェーデルン、シュテムターン、総合滑降の4種目だった。平均70点が合格点である。パラレルが69点でも、ウェーデルンで71点を取ってカバーし、他が70点なら、平均70点で合格だ。
 見かけは100点満点だが、事実上は、○か×か、70点か69点かで判定されると思った方がいい。パラレルがうまいと言って、75点とか与えてしまうと、他の種目では2級の恥となる滑りをして67点とか出しても、合格してしまうからだ。一般に71点は特に上手く、72点はめったに見たことが無い。逆に69点は多いが、転倒しても69点が出ることもあり、逆転の余地は残される。しかし、転倒して板を外してしまうと、68点が相場だ。このレンジはスクールによって差があり、72点を出すスクールは、68点もバシバシ出して、バランスを取っている。
 また、事前講習が義務付けられていて、スクールの収入源となっている。午前中に2時間の講習を受けてから、午後にテストのパターンが多い。
 ついでに1級は、2級のシュテムターンが無い代わり、ステップターンがあり、さらに追加で、ゲレンデシュプルング、通称ゲレシュプという、小ジャンプがある。小さなコブを作って、ジャンプするのだ。しかし、これはこの年から「横滑り」という、バーンを斜めに横滑りする種目となった。
 
 さて、パラレルは熊の湯で特訓したが、ウェーデルンに自信が無い。そこで、湯沢中里のSAJが2日間コースで開催している、ウェーデルン特訓コースに入校することにした。3連休を利用し、スクールで2日間練習し、3日目に体が忘れないうちにバッヂテストを受ける。あわよくば合格、という算段だ。
 スクールには20名近くが入校していた。ここでウェーデルンの滑りで班分けをする。すでに2級に合格している人にはかなわない。うまい組とへた組になり、当然へた組になる。ここでは、「板を回しこむ」という動作を勉強する。神立で教わった「パズル」は入門編の話であり、本来の姿は、パラレルターンが細かくなった、板の回しこみが基本である。その前提となる、ピボット操作やジャンプウェーデルンの練習をやるが、とても疲れた。

えらい雪だ
すごい雪だ(背景に上級斜面)
  

 ここで事件が発生する。爆発的に雪が降ってきたのだ。前がよく見えない。新潟特有の、湿気の多いボタン雪だ。積もるのが早い。午後にはブーツが見えなくなる。もう、うちの班のメンバーでは、板が回らなくなった。先生もヤケになり、急遽、新雪教習になってしまった。
 圧雪コースなどすべて深い雪に覆われ、フカフカだ。先日行ってきた、ウィスラーのような状況だ。ところが、急斜面で2人の板が外れ、板が行方不明になってしまった。板探しでえらい時間がつぶれた。その後は遅れを取り戻すために、先生を先頭に、ひたすら滑りまくりだが、練習にならなかった。ビデオも撮るとか言っていたが、もう、ビデオどころの騒ぎではなかった。
 夜はゲレンデ下のコーヒーハウスでミーティング。中里のバッヂテストは、1級も2級も同じ急斜面を使い、2級は採点を甘くするだけだという。ウェーデルンは、暴走したり、リズムを崩したりしなければ大丈夫というが、それは逆に、暴走したり、リズムを崩したりしたらダメということだ。私はどうも急斜面に弱い。中里で受けるのはやめよう。日程表を見て、近くの湯沢パークで受検することにする。
 この雪は翌日も続いた。2日で1mになる大雪だった。とにかく、入門者のウェーデルン講座はできなくなり、普通のパラレルでの回しこみ動作の練習が中心となった。仕方ないだろうが、残念だ。
  
 翌日、湯沢パークへ向かう。朝8時半ごろ、本来なら6時ごろには越後湯沢に着くはずのシュプール号が中里の駅を通過した。早朝まで降っていた雪の除雪が間に合わなかったのだろう。中の乗客もぐったりしていた。ところが、私が乗るはずの電車が来ない。やっと来て越後湯沢へ。送迎バスで湯沢パークに着いた時には、検定の受付は終わっていて、事前講習がスタートしていた。ううん、無念。仕方なく、バッヂテストを見物しようとしたが、早朝の雪で、圧雪した斜面の上に数センチの雪が乗っており、2級受検者には事前講習もままならない状態だった。受けなくて良かったかな?。昼前にはスキー場の客が引き始める。前日までの大雪にビビッて、帰りを急いだのであろうか。場内放送で、「越後湯沢ICまでは渋滞で50分かかります、ゆっくりスキーをお楽しみ下さい」と流れていた。帰りの新幹線の予約席を胸に、余裕で笑ってしまった。ちなみに、阪神大震災の前日のことだ。
 不合格でもいいから、何点取れるか知りたかった。翌々週に草津に行く。有名な所でないと同行する仲間を募れないことと、温泉が個人的に魅力だった。ところが、バッヂテストは天狗山でやるという。見ると、コブのある急斜面ではないか。もうだめだ。テストは見送り、今までスクールで教わったことを復習する。ところが、テストを見学に言ったところ、天狗山の急斜面のふもとでやっていた。それを早く言いなさい。
 

スクール生
浦佐はスクール生が多い
   

 翌週は浦佐へ。ここは、知る人ぞ知る、スキーの虎の穴である。標高が低く、のろいペアリフト1本で最高地点に着いてしまうという、ロングコースの無い、ただのロコスキー場である。その名が全国区であるのは、何人ものデモンストレーターを輩出していることと、バッヂテストが難しいことがあまりにも有名であるからだ。
 バッヂテストに関しては、浦佐と白馬八方尾根の1級だけは別格だ。たとえ他のスクールで1級よりも上のテクニカルや準指導員に合格していても、ここの1級は平気で落ちたりするという。本来、バッヂテストのような技能テストは、どこで受検しても難易度は同じでなければならない。たとえば、英検1級に合格した人に、「受検会場はどこでしたか」と聞く人はいないだろう。ところが、スキー1級では、「どこで受検しましたか」と聞く人が多い。それは同じ大学卒と言っても、どこの大学を出たかを問題にする人と同じで、名前は1級でも同じではないという事実があるからだ(ちなみに、クラブ検定が最も易しいと言われる。怒涛編で述べる)。

 ついでに言わせてもらうなら、この浦佐と八方尾根の1級は「ここの1級じゃないとイヤだ」と言って、繰り返し受検する人が多いという。ウィスラーで会った料理人のTさんは昨年まで八方の宿で働いていたそうだが、彼によると常連客にはバッヂ1級を10回以上受けているのが大勢いるらしい。こういうのを病気という。しかしそのTさんは20回以上受けて、まだ合格できていないらしい。こういうのをマゾという。他でならとっくに合格しているのに。

 閑話休題。浦佐で1日コースに入り、特訓をする。ただし、それほど気合が入った内容ではない。「いろいろやるから、何かをつかんで帰ってくれや」という感じで、色々な滑り方をやり、それぞれ注意点をアドバイスするという感じだ。ナイターで特訓もやり、ウェーデルンに少し自信が出てきた。

 さて、いよいよ2級を受検する。日程と場所の関係で、ファースト石打というスキー場にする。ここはボーダー天国で、スキーは完全にマイナーであり、ここでのスキーヤーは異邦人である。だが、スクールだけは気合が入っていた。星一徹みたいな先生がボスで、周囲の先生も体育会系といった感じだ。最初の準備体操も、見習らしき女の子が大声で号令をかけてやっていて、ボーダーたちの視線を集めていた。

 午前中は事前講習である。2級受検は私一人で、1級受検班5人といっしょにレッスンを受ける。リフトで最高地点に登り、降りてすぐ右でウェーデルンをやるという。ゲゲゲゲゲゲッ!!ものすごい急斜面だ。下が見えない。できるわけ無い。1級受検班が「ほんとかよ」と言っている。2級は、スタートが1メートル下になるだけで、ほとんど同じだ。転倒はしなかったが、暴走して止まれなくなった。先生から、「2級はジャンピングウェーデルンでも何でもいいから、暴走しないでね」と言われた。なぜこんな急斜面を使うのかと聞くと、このコースは急斜面のすぐ下がカーブしているので、当時まだ初心者の多いボーダーが怖がって入ってこないから、検定で使っているのだという。シュテムターン、パラレルでは誉められた。よし、ウェーデルンだけだ!午後は本番だ。1級受検者が10人に増えた。このスクールは、事前講習は1回受ければ、そのシーズンの事前講習は免除されるという。だが2級は私だけだった。
 まず、シュテムターン。前走のイメージで滑ると、検定員がメモ帳にコソコソと点をつけている。気になる。1級受検者からは、「きれいでしたよ」と言われる。次がウェーデルン。あの急斜面だ。スタート位置からは、検定員が見えない。ええい、行けえ!。とにかくスピードを殺しまくり、スローモーションのウェーデルンで、思いっきり板を横にし、ストックも力いっぱい突き刺し、暴走せずにゴールした。やった!。1級受検組を見ると、暴走しているのもいる。彼(彼女)らはすでに2級を持っているということだから、私の方がうまいということか。パラレルは無難にこなし、最後の総合滑降も転倒せずにゴール。もらった!。発表は3時にスクール前だという。もう、うれしくて、有頂天になった。
 不合格だった。合格者氏名は無く、1級も全滅だった。スクール校舎内に入って聞いたところ、シュテム、パラレル、ウェーデルン、全て70点で、総合滑降だけ、3人の検定員が全員69点を付けたという。理由は、スピードが無さ過ぎるからだという。それだったら、事前講習でやってみて、言ってくれれば。ちなみに、スクールの事前講習では、総合滑降は省略して、他の種目の技術的な説明に終始する場合が多い。うかつだった。スクールの先生たちは、「おしかった」「もったいない」と挑発してきたが、もう一度あの急斜面ウェーデルンで70点を出せる自信が無かったので、ここで再受検することは断念した。温泉饅頭を片手に、呆然として新幹線に乗った。

 2級は、取らなければならない。どこか易しく取れそうなところはないか。翌週、バッヂテストをやるスクールで、片品があった。ここはキッズスクールや子供向け施設で有名なところだ。きっと斜面もやさしいだろう。1級さえ取れば、2級はどこで取っても同じだ。それ行け!。土曜日は武尊オリンピアで特訓し、日曜日は片品でバッヂ2級を申し込んだ。おっさん臭いおっさんが出てきて、事前講習となる。2級は8人ほどいて、私は最年長に見えた。中学生くらいもいた。

片品は斜面がゆるかったが
  

 事前講習の内容はファースト石打とあまり変わらないが、真剣に受ける。そしていよいよテストだ。スクール前の大きなバーンを使用する。ウェーデルンはズレまくったが、暴走しなかった。よしよし。総合滑降では、スピードに気をつけた。ゴール間近まで減速せずに、最後で一気に雪煙をあげて止まったほうが検定員の受けがいいらしい。
 4種目終わり、手ごたえは十分であった。よしよし。合格発表では、まず、検定員が感想をたれる。「今日は、人が多い中、スピードが出しにくくて・・・」そんなのいいから、発表しなさい。「では、採点表は、スクールの窓に掲示します。合格者は合格手続きをするため、中に入って下さい」離れたところのスクールの窓には、若いイントラが丸めた紙を持っており、検定員と目で合図すると、スルスルと紙を広げた。ドドッと受検者が群がる。不合格だった。点を見ると、70点はシュテムだけで、他は69点だった。ウェーデルンが69点だったのはショックだった。でも、これが私の実力なのだ。石打の時は、ウェーデルンになってなくても、2級には可哀想な急斜面だったので、暴走しなければ70点をくれたのだ。パラレルが69点に落ちたのも悔しい。がっくり肩を落とした。というより、自分の意志とは関係なく、肩が落ちた。子供向けのスキー場はやさしいと思い込んだバチが当たったのだ。そう言い聞かせて、荷物をまとめ、渋滞の始まる前の関越道に向かった。

 翌週は会社で白馬栂池にスキーツアーがあった。出向していた研究所の部長が来ていて、私の滑りを見て、「ダンチだな(古い言葉だが、「段違い」の省略)」と誉められた。昔を知っている人から言われると、むしょうに嬉しい。時々、自分は上手くなっているのだろうかと不安になることもあるが、上達しているなら、いつかゴールに到達するはずだと希望がわくからだ。

 早く2級を取らないとシーズンが終わってしまう。このころ、フィッシャーの板のバインディングの調子が悪いこともあり、板をロシニョールのケブラー(アズキ色のやつ)デモタイプに替える。長さは193cm。菅平の先生が履いていたのと同じものだ。ブーツと比べれば、板は替えてもすぐに慣れた。特訓後、奥利根国際に行く。ここで土曜日に受検し、万が一、だめなら、日曜日に嬬恋で再挑戦だ。ここで前日の反省点を生かせば合格だ。万全の態勢ではないか。

 奥利根国際は水上インターから少し山の中に入ったところにある。ボーダーがやたら多く、このころからすでにハープパイプがあった。私から見るとハーフパイプは自然破壊にも見えるし(?)、スキーヤーが、心なしか白人に追い立てられ、土地を奪われていくインディアンに見えて仕方ない。でも、ここはテストのために来たのだ。きっと検定員は、スキーヤーを歓迎の意味も込めて、合格させてくれるだろう。だが、こういう油断が片品の悲劇の二の舞になるのだ。強く自分を戒める。2級受検は12人で、私が12番のゼッケンだった。
 
 ここは、ゲレンデ上部の「くらししゲレンデ」で主要科目をやり、総合滑降は向山からくらししへのコースで行う。しかし、途中に緩斜面が入り,総合滑降としてはスピードがダウンしやすい。注意しながら、テストを受ける。ボーダーがあちこち座り込んでいて、邪魔だ。テストは終わった。総合滑降だけ、いやな印象があった。ゴールの時に、楽に止まれたので、スピードが落ちていたのだろう。

 発表の時が来た。儀式的な検定員の総評が始まる。受検者たちは、神のお告げを聞くような神妙な面持ちで話を聞いているが、内心は、ムダ話はそのくらいにして、早く発表しろと思っているだろう。合格発表はまず、合格者の名前を読み上げ、後は点数の張り出しという形式だ。次々受検番号と名前が呼ばれる。
 「2級を先に発表します。3番、○○さん。5番、○○さん、6番、○○さん」思わず「ありがとうございます!」と返事をする者もいる。「9番、○○さん」おおっ、いよいよくるか!「えー、以上です。」後は記憶に無い。精神衛生上、実に悪い発表方法だ。まだ自分に下された審判を受け入れる気にはなれなかった。点数表では、シュテムだけ合格点で、他は足りなかった。なぜだ。

浅間山など目に入らん
浅間山など目に入らん
 

 翌日、バラギ嬬恋へ。浅間山が美しいが、それどころではない。落ちたら、東京に帰れない。スクールは受検者がとても多く、2級だけで30人はいただろうか。家族連れが多いせいか分からないが、今まで受検した中では、いやに中学生、高校生が多い気がした。ゼッケン番号によって、15人ずつの班に分かれる。
 ここは、どうも教えるオヤジ教師の熱意が伝わらない。「シュテムは、こうやってパッとひらきだして、ズルズルッと滑って」あれ?他のスクールでは、あまりズレるなと言っていたのに。「ズレていいよ」ううん、同じSAJで言うことが違うのは困りものだ。とりあえず、ズレてやってみるか。私の班はなぜか中学生くらいが多かった。私は、自分では間違いなくうまい方だと自信を持つようになった。私が合格しなければ、他の受検生は誰も合格できまい。そう確信した。でも、オヤジの教え方は、バッヂの事前講習というよりも、普通のスクールみたいだ。パラレルの練習で高校生くらいの女の子が一般のスキーヤーに激突して転倒させてしまい、教習は中断。ウェーデルンをやり残したまま、とりあえず、2時間の教習を終える。「みんな、合格するといいね」そう言い残してオヤジは去った。
 さて、いよいよテストだ。総合滑降、パラレルは上部のゲレンデで行う。周囲のレベルを見ても、私は合格するだろう。
 
 ところが、バラギ嬬恋の罠があった。ここは全面的に南向き斜面で、天気がいいと、午前の時と比べて、雪質が豹変するのだ。スピードを殺さないように注意して滑る。言われたとおり、ズレは大目にとり、演技を終えた。最後のウェーデルンだけは、一番下のバーンでやるという。ここはさらに雪が悪くなっていた。一人ずつスタートする。ゼッケンは後ろの方だが、公平を期すため、入れ替えをする。私は最初から

 ベンディング
普通、ターンする時は、ひざを曲げてスキー板をたわませ、曲がり終わって次のターンに入るまでに伸び上がってスキー板をまっすぐに戻す。これはジャンピング又はストレッチングという滑り方だ。ベンディングはこの逆で、ターンの間はひざを伸ばし、曲がり終わって次のターンに入る時にひざを曲げて板をまっすぐに戻す。高速ターンやコブ斜面で使う技術。平地で使うのは難しいとされる。
 この嬬恋の話を某デモンストレーターにしたら、前走は、受検者ができないような技術で滑るものではないと言った。
                          
 ズレと切れ
ターンする時、きれいにS字になるのは難しい。エッヂング(スキー板の角付けの角度)が甘いと、横滑りし、ズリズリとズレることになる。しかし、エッヂングがしっかりしているとこのズレは小さくなり、切れ上がるようになる。アイスバーンでは、ズレるターンは転倒しやすい。同じパラレルでも、1級と2級の差はここにある。なお、スノーボードはよく切れ上がる。また、最近のカービングスキーはこの切れ上がるのが簡単にできるようにできている。
 ヌケ
ターンの時に沈み込んでスキー板をたわませ、次のターンに入る時に伸び上がり、たわんでいた板を戻す。この時、前方に推進力が働く。これがヌケであり、スキーの気持ちよさの大きな要素である。ヌケができていると、見ている者からも、気持ち良さそうに滑っているように見える。

3番目くらいになった。前走は他の班を教えていた、これまたオヤジだ。このオヤジ、なんと、この2級のウェーデルンの前走で、ベンディングを使ったのだ。後ろで並んでいた、若い見習のイントラたちが「ベンディングだよお!」と笑い声を上げた。
 先頭の受検者は、いきなりタコ踊りのような演技を始めた。するとイントラたちから、「イメージ、引きずられていらあ」と、再び笑い声が起こった。「このスクールで2級を取るのはよそう」そんな気になった。どうも最初から、熱意の無いスクールだと思った。村営というのは、こんなものなのだろうか。後はよく覚えていない。
 
 合格発表では、私の班は全滅だった。「みんな合格」どころではない。ただ、「私が合格しなかったら誰も合格しない」という私の読みは正しかったが。
 点数は、例によって、シュテムだけ合格で、71点をつけた検定員もいたが、パラレル、ウェーデルンでは68点を付けた検定員もいた。このスクールは点数幅が広い。近くにいたイントラに、本当にズレていてもいいのかと聞いたら、「ズレるよりも、切れた方がいいに決まってます」だと。言ってることが違う。わざわざズレズレにして滑ったのだ。実に気分が悪い。バラギ高原嬬恋スキー場は、私の「二度と行くかスキー場」の五指に入るスキー場である。
 ただ、今回の反省点は、テストのはしごをしたことにある。吉田兼好も、徒然草の中で、二の矢を持ってはいけないといっているではないか。バッヂテストも、何回でも受けられるワイと思っていると、だめなのだ。一発必中でなければいけない。あせらず、もう少し練習することにした。

 妙高池の平で特訓し、SIAのスクールにも入った。ロシニョールの板もだいぶ操作しやすくなった。先生からは、「もう、2級には合格するでしょ」と言われた。これは本当にうれしい言葉だ。そしてウェーデルンが苦手で落ちていると言ったら、ウェーデルンに力を入れてくれた。
スクールではすでに2級を持っている人と滑るが、決して遜色はないと思うのだが。1教師に3人の生徒で、充実した内容だった。このころ、「ヌケ」を覚える。パラレルだけではなく、ウェーデルンにも「ヌケ」があることを知る。
 3月21日の春分の日、シーズン最後の勝負に出る。場所はアサマ2000だ。ここは北向き斜面で標高も2000m級と高く、この時期でも雪質がいいので選んだ。高速道路から近いのもいい。
 天気も良く、前日まで吹雪いていたとあって、雪質は信じられないほどいい。クリクリいうではないか。事前講習はおばさんの指導員(検定の採点員でもあった)だったが、熱心に教えてくれた。ウェーデルンでは、自分でもいい滑りだったが、先生は、「あなたは必ず合格します」と言ってくれた。私は自信と偉大さを取り戻した。

 いよいよテストだ。広いバーンで行う。得意のシュテムから入る。そしてパラレル。ズレないように気をつけたつもりだが、夢中で覚えていない。そしてウェーデルン。コツは、スタート時点から、すでに足首を曲げて、両手を前に伸ばした状態で待機し、スタートすること。滑りながら足首を曲げていったり、両手を前に出そうとするとリズムが崩れたり、修正がきかないまま、あっという間に終わってしまうからだ。いよいよスタート。夢中でエッヂをきかせて滑る。そして、総合滑降。必死で滑った。きれいに決まったと思う。後は、結果を待つだけだ。遠くに、今まで目に入らなかったスキー場が見える。表万座だという。雪が見えるのはコースだけで、南斜面は、青みがかってきていた。

 ものすごく緊張して発表に集まる。合格しているかもしれないと思うと、緊張もひとしおだ。でも、今まで何回裏切られたか。検定員の先生の講評が始まる。「今日は雪質がとても良かったので、厳しく採点しました」ヒヤッとする。やばい。「下から見ていて、どうしてあんなにズレるのかなー、なんて思うのが多くて」しまった。こういうズレは自分では気づいていないものも多い。
 「では、2級から発表です」全受検者に緊張が走る。「清水さん」ハッとした。ゼッケン番号無しの、名前だけだ。まさか、同姓はおるまい。「○○さん。以上2名です。なお、1級は残念ながら、合格者は出ませんでした」そして、ここアサマ2000では表彰式がある。検定員が合格証を持ち、みんなの前で表彰するのだ。「清水○○殿、あなたは×××・・・」検定員のさびれた声も、小鳥のさえずるような、美しい音色に聞こえた。自分が帽子をかぶっていることに気づき、あわてて脱帽する。「検定員○○。今後もがんばって下さい」教師や落ちた受検者たちから拍手される。私も落ちた辛さは知っているが、受検者には合格した時の喜びは知っておいてもらいたい。そう思って、受け取った合格証を高々と、みんなに見せて一礼した。スクール校舎内ではバッヂを交付してもらう。次は1級だ。3月も末になると、日も長くなるが、周囲の景色は来た時よりもまた変わっていた。
 次は、1級だ。

なお、出向していた研究所にFAXで合格証のコピーを送った。研究所はパニックになったらしい。

バッヂテスト
     もしあなたがこれから受検するなら、いくつかやるといいことがある。
(1)不合格でも、自分の得点はメモしておくこと。次回の課題になるし、点が上がっていけば、励みにもなる。
(2)事前講習でうまいと思う人、自分の前の人、受検番号1番の人など、滑りを覚えやすい人を数人、記憶しておくこと。発表の時にその人が何点取れたかをみれば、自分の位置や目標も見えてくるし、その人が合格すれば、「あの滑りなら合格だな」と分かり、励みになる。前走の人の滑りはすぐに真似はできないだろう。
事前講習の人数が少ないと、1級受験者といっしょに講習することがある。1級受検者で、下手な人がいたら、どこで2級に合格したかさりげなく聞いてみよう。点の甘いスクールが分かるはずだ。私の経験でいえば、そういうのはクラブで取ったという人ばかりだったが。
合格発表前に検定員が言う総評で、聞き逃してはならないことがある。それは、今回は雪質その他の条件により、採点が甘いか辛いかである。甘い時は、どこを甘くしてくれるかだが、たいてい、ズレを見逃してくれることが多い。

(第2話:風雲編)  (第4話:怒涛編)
   
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