マッターホルン物語
   

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「魔の山」マッターホルン
マッターホルン山頂アップ
(1)マッターホルン山頂
 
ゴルナグラート駅から東壁とヘルンリ尾根
(2)ゴルナグラート駅から
  
 
スネガテラスから
(3)スネガから
   
 マッターホルン(Matterhorn)はスイスとイタリアの国境、ヴァリスアルプスにある、標高4478mの山で、イタリア語ではモンテチェルビーノ、フランス語ではモンセルバンという。モンテローザ山塊の主峰で、スイス側の登山基地となるツェルマットから南西10キロに位置している。 
 18世紀以降、ヨーロッパ・アルプスの名のある高峰が次々と征服されていったが、最後まで登頂されずに残っていたのがこのマッターホルンだった。その急峻な先鋒は天を突き刺すように長く、初登頂を果たしたイギリスの登山家(木版画家でもある)E.ウィンパー(Edward Whymper)をして「最後まで征服されなかったのは、登るのが難しいからというよりも手のつけようがなさそうな偉容に人々が恐れを抱いたせいであった」と言わしめた。

 ウィンパーによれば、初登頂以前は、ツェルマットの迷信深い住人たち(彼らはマッターホルンこそ、アルプスのみならず、世界でも最高峰であると固く信じていた)は、マッターホルンの頂上には廃墟となった町があり、そこに亡霊たちが住みついているのだと口々に話していたという。ウィンパーがそれを笑うと、「それなら自分でその城壁や要塞を見てきなさい。だが、むやみに近づくと魔物は高い所から岩を落としてくるからね」と、真剣に忠告するのだった。
 普段は理路整然と話をしたり文章を書いたりしている人でも、いったんこの山の話をすると分別を失い、夢中になってこの山のことばかりしゃべり、しばらくは普通の物の言い方ができなくなってしまう傾向があったという。

    
自然の造形美
東壁に正対して
(4)テオデュル氷河から東壁に
正対して
        
テオデュル峠付近からマッターホルンの「肩」
(5)南壁と「肩」
   
ツムット稜
(6)北壁を見上げる
 
ロープウェイとマッターホルン
(7)マッターホルン山頂とロープウェイ
    
ヘルンリ尾根
(8)ヘルンリ尾根ぞいに
 
 もともとこの絶壁はアルプス造山活動による隆起と、マッターホルンよりもはるかに高い厚さでアルプス全体を覆った氷河による侵食作用によってできたものである。民間伝承によれば、最初は草原にあった一つの岩が次第に隆起してできたものと伝えられている。言い遅れたが、マッターホルンとは「(高地の)牧草地の角(ツノ)」という意味である。

 マッターホルンは視覚的にも面白い山と言える。実をいうとゴルナグラートから見て、視線を後ろに移した所に間近に見えるモンテローザ(Monte Roese:ロマンシュ語で氷の山の意)の方が156メートルほど高いのだ。しかし、モンテローザは丸みがあるうえ高峰の連なる山塊にあるのに対して、マッターホルンは急峻で単独の高峰であるがために、こちらの方が高く見えてしまうから不思議だ。

 全体の構造は基本的にはピラミッド型なのだが、北東(東壁の最も右側のヘルンリ尾根)にむかって細長く、この尾根の延長から見るマッターホルンが山裾が最もせばまって見え、最も美しいと言われている。スイス側からマッターホルンを眺望できる主なエリアはマッターホルンに近いものから、クラインマッターホルン、ゴルナグラート、スネガの3つに分けられる。そして一番遠いスネガからの眺めがこの尾根の延長上にあって最も美しく、多くの商品パッケージや写真、絵画に採用されている。 

 マッターホルンを眺望する時刻は、午前中が大気も安定してよいとされる。早朝は東壁にまぶしいほど太陽があたるので、北壁とのコントラストが大きくなる。一方、氷河から東壁に正対してみると二等辺三角形に見えて、まさしくピラミッドのようだが「らしさ」が無い。イタリア側から見ると南壁の西側に「肩」と呼ばれる平坦な尾根が八合目ほどにあり、頂上部分もデコボコして、ただの岩山のように見えて、思いがけないほど格好が悪い。
 国境にまたがる山ではあるが、以上の理由からマッターホルンはスイスの山というイメージが出来上がっているようだ。
 
マッターホルンの初登頂
 マッターホルンの話をする時は、初登頂の物語を抜きに語ることはできないだろう。 マッターホルンの恐るべき外観は、初期の登山ルートの選択に影響を与えた。当初は、イタリア側からの「肩」を経由した南西山稜のコースがやさしいと思われていたのだが、南西山稜は難所もあり岩なだれが非常に発生しやすい。多くの登山家、そしてウィンパー自身もこのルートから5年間に8回も試登したが、登頂を果たすには至らなかった。
 一方、北東のヘルンリ尾根づたいは登攀不可能と言われていた。ウィンパーも「ゴルナグラートから見た東壁の斜度は70度以上(写真2)、東壁に正対すると垂直に見える(写真4)。しかも、とっかかりが無いほど岩がつるつるしているようだ」と考えていた。
 しかし彼は東壁の中腹には一年を通じて雪が残っている場所があることに気づき、観察調査したところ東壁の斜度は40度も無く、しかも岩の層の向きが登攀に有利になっていることを発見した。
 そして初登頂をかけた登攀開始をJ.Aカレルらイタリア隊に出し抜かれたため、急きょ7人のパーティーを編成して追いかけた。イタリア隊がイタリア側から登攀を開始したのに対し、東壁側から登攀を開始し山頂直前で北壁に廻り込み、一気に初登頂を果たした。1865年7月14日午後1時40分、エドワード・ウィンパー、25歳の時だった(ちなみに、この時の日本では慶応元年の幕末期にあり、京都では新撰組が暴れていた)。ウィンパーらは、「肩」から登ってくるイタリア隊を頂上から見下ろし、大声をかけると、カレルらは落胆し、登頂せずに引き返してしまった。


マッターホルンの悲劇

 しかし、この初登頂は決して快挙といえるものではなかった。下山途中で1人が足を滑らせ、すぐ下の仲間に激突し、4人が一瞬にして足場を失った。ウィンパーら上の3人は足場を確保したがロープの途中が切れてしまい、下の4人は滑落してしまった。この時ウィンパーは仰向けになって両手を広げて、もがく姿で氷河へ滑落していく仲間を見たのだが、助けようがなかった。そこでロープを点検してみて初めて、用意した3本のロープの中で最も弱いものをガイドが選択していたことに気付いたのだった。そして足場の安全な場所まで降りたとき、3人はリスカムの山上の空に巨大なアーチ型のくっきりと明瞭な模様が現れ、そのアーチの中に2つの十字架が並んで浮かび上がったのを見て驚愕した。ウィンパーは自分たちの影だと思って体を動かしたが、十字架は微動だにしなかった。2人のガイドは、これは遭難事故と関係があるものだと信じた。  
 下山後、ウィンパーはスイス当局の査問委員会に引き止められ、裁判にかけられることになった。無罪にはなったものの、イギリスに帰国後も彼はタイムズ紙の社説といった、マスコミからの非難に耐えねばならなかった。やがて彼は地質学研究を行うようになり、グリーンランド遠征で成果を上げた。「Scrambles amongst the Alps (邦訳:アルプス登攀記)」が出版されたのは、その後の1871年となった。批判も多かったが、大衆には熱狂的に受け入れられ、版を重ねた。また、ライバルであったJ.Aカレルらとマッターホルンに再登頂したほか、南米エクアドルのチンボラソ(6310m)にも一緒に登頂している。その後も講演旅行、調査、執筆に没頭し、1911年、71歳で亡くなり旅先のシャモニーの墓地に埋葬された。彼は著書の最後を以下の言葉で締め括っている。


   「いかに勇気や体力があろうと、慎重さを欠いていては何にもならない、ということを忘れないでほしい
    そして一瞬の不注意が、一生の幸福を台無しにしかねない、ということも」
   Courage and strength are naught without prudence,
    and that a momentary negligence may destroy the happiness of a lifetime.

 

そして今・・・
夜景
(9)スネガ下山道から夜景
 ツェルマットの山岳博物館に行けば、ウィンパーの登頂道具や切れたロープなどを見ることができる。街中を歩けるような、当時の登山服を見ると驚くだろう。また、遭難した仲間は博物館から歩いて5分の、ツェルマットの教会の墓地に眠っている。
 「魔の山」マッターホルンは、登頂ルートが確立されており、登山の心得がある者ならば、ガイドを雇えば、誰でも登ることができる。(ただし、滑落・落石・落雷で毎年数名、亡くなっているが)
 まず標高4000メートルをハイキングして高地順応をしてから、ヘルンリ小屋に宿泊し、天候がよければ早朝に登攀を開始して、山頂に立つ。その日の夜はツェルマットのホテルのベッドで寝るのが人気のコースだ。
 
ウィンパーのレリーフ

ツェルマットのホテル・モンテローザの外壁に埋め込まれたウィンパーのレリーフ。
ウィンパーはこのホテルを常用し、初登頂もここから出発した。

参考文献:大百科事典(平凡社)   スイス政府観光局のパンフレット
       「Scrambles amongst the Alps」「アルプス登攀記」(講談社)
       「スイス」(JTB)  インターネットによる情報(アメリカ、イギリス、スイス)
       現地ガイドに聞いた話

注1)
 マッターホルンの高さは4477mとする本も多い。ここでは、スイス政府観光局の数値を採用した。


マッターホルンのその他の画像については、サイト内「海外スキーレポート」の
ツェルマットをご覧下さい。