もはや無形文化財 | |||||
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年末年始の休み、かあちゃんが先に長野県の実家に戻るので、私は一人で、あまり行ったことが無い奥美濃地区と近畿地区を滑ってから長野の実家で合流する計画を立てたが、初日は移動に時間がかかるので、愛知県唯一のスキー場、茶臼山高原スキー場を午前に滑ってから、岡崎の落ち葉スキーに立ち寄り、岐阜に入ることにした。12月29日だ。 |
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暗いうちに東京を出発、午前中に茶臼山高原スキー場を滑ってから、恵田小学校に向かった。到着したのは14時半だった。小学校に到着してからちょっと迷ったが、場所は小学校の正門のちょうど裏にあたる場所で、ゆるい下り坂の途中にある。大きな駐車場があり、その端に手作りの「落ち葉スキー」の看板がある。もし迷子になったら、誰か人に聞いてみるといいだろう。ただし、最近は登下校の小学生にいきなり聞くと、アヤシイおじさんになってしまうから注意だ。 ところで、まさか愛機のサロモンの板では滑れないので、短いショートスキーを持参していた。ブーツを履き、いざ、落ち葉スキー!。周辺にはだれも人影が無い。12月29日だからみんな冬休みなのだろう。見ると、畑にイノシシが侵入するのを防ぎます、みたいな電線が張られていた。小学校としては、おおっぴらに開放しているわけではなさそうだ。だから、むにゃむにゃ言っていたのだろう。 軽くまたいで、中に入ると、おお、すばらしい、斜面の真ん中に階段があり、その両脇にはびっしり落ち葉が敷き詰められているではないか。東京では落ち葉というとイチョウやモミジのような広葉を想像するが、ここは小さな落ち葉も多く、基本は松葉が主体だ。油分があって、滑りやすいのだろう。階段を一番上まで登ると、スタート台と、油の入った缶が置いてあり、缶には刷毛が突っ込まれていた。これは給食の廃油を利用して、板に塗って滑るらしい。だから落ち葉のコースもきっと油をさらに含んでいるのだろう。火が付いたりしたら大変だが、タバコを吸うような不届きな者はいないようだ。 早速板を履いて、おそるおそる滑ってみる。どんなスピードが出るか分からないので慎重に行こう。1級のスキーヤーが落ち葉スキーでケガしました、なんていったら大笑いだ。しかし、スルスルやっているいちにあっという間に下まで到着した。ありゃりゃ、ネットでは、スキー板が短いとスピードが出る、というが、雪面ほどではない。しかし、やっぱりスルスル滑るのは楽しいことだ。2本目、ほぼ直滑降で滑る。おお、それなりにスピードが出るではないか。なかなか面白い。いったい、誰が最初に考えたのだろう。落ち葉そのものは昔からあるわけだから、落ち葉のそり遊びはあってもよさそうだ。3本目、今度はデジカメでビデオを撮影しながら滑った。これはユカイだ。なんだか知らないが、8本くらい滑ってしまった。 スキーは雪以外に草の上を滑るグラススキーや、砂の上を滑るサンドスキー、プラスチックの人口ゲレンデを滑るプラスキーなどがあるが、落ち葉を滑るとはなんと斬新な発想だろうか。落ち葉の上を最初に板で滑った人、その人は間違いなく、遊びの天才と言える人だろう。 今回、来る前に色々調べたが、この落ち葉スキーはこの恵田小学校の伝統で、昭和32年(1957年)から始まっており、最近では同校のPTAが近くのゴルフ場から4トントラックで松葉を運び、6年生がコースに敷き詰めているという。地域が一体となった文化といえるだろう。 さらに言うと、昔は愛知県ではもっと大々的にやっていたらしい。1932年から5年間、愛知県の五井山(450m)の山腹に「落葉スキー場」があったという。林間に3つのコースを設定した本格的施設で、そこで使用されていたスキー板や、「蒲郡落葉スキー倶楽部管理部」の看板、そして絵はがきで存在を知られていたらしい。本当はロープウェイまで架けて本格的に開発するつもりだったが、日中戦争の勃発でそれどころじゃなくなり、幻となってしまったそうだ。 私はこの落ち葉スキーの伝統を愛知県人の誇りとして、守っていってほしいと思う。「雪が無くっちゃ、スキーはできないよ」という、古い常識を打ち破る斬新な発想は織田信長に通じる。松葉を主体とする落ち葉に油をひいた板で滑る知恵と工夫は豊臣秀吉のようだ。考えようによってはバカバカしい、子供が土手で2mくらい滑って喜んでいるような遊びを「落ち葉スキーでございます」と言って、真剣にやってしまう寛容さ、豪放さ、懐の深さは徳川家康そのものだ。まさに、愛知県が生んだ戦国の英傑の血を脈々と受け継いでいるではないか、というのは過言だろうが、こういうオモシロイことは無くならないように、受け継いでいってもらいたい。 これからもずっと、滑り続けてください。ありがとうございました、楽しかったです!。 |
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