HOME国内スキーレポート > 2005-9 (シャルマン火打、金谷山) 

シャルマン火打、金谷山

 
     2つの聖地
雪だるま 2005年レポート(9) 信越-2
redline
 今回の遠征のテーマは「パウダー(粉雪)」であった。これは景色の良さとかロングクルージングとかではなく、ひたすら新雪を楽しむということだ。もともとこの週末はあまり天気が良くないことを承知のうえで行くのだから、降雪時に張り合いがある目的といえばパウダーしかない。通常、日本でパウダーといえば北海道に行くのでなければ、標高の高い所を行かないとお目にかかれないものなのだ。しかしたとえ標高が低くても「降りたて」であればそこそこ浮遊感のある雪が楽しめるだろう。したがって、本州でパウダーをウリにするスキー場に行くなら2月のトップシーズンに限ることになる。理想は木曜日か金曜日に大雪が降って土日は天気はいいけど気温は低いままということだ。
 ここでパウダーを楽しむためのスキー場を選ぶ時に注意したいのは、単に雪質や量だけではなく「圧雪していないコース外を滑ることがどのくらい許可されているか」という点だ。滑走してよい非圧雪エリアが広いといえば日本ならニセコやアライが有名だが、今日いくところはアライを通過して日本海に出て、そこから富山に向かってちょっと走ったところの能生(のう)というところにある、「シャルマン火打」だ。
 ここはなんとバブルがはじけて久しい平成10年に開業したスキー場だ。東京から日帰りするのはあきらめた方がいいくらい遠いので、もし行くなら私のように1日目にどこかで滑ってから上越市、直江津あたりに宿泊して2日目に狙うのが順当というところだ。
シャルマン火打の地図(配布地図を加工)
シャルマン火打 ゲレンデマップ
 ここはゴンドラ級ではないが、地理的には日本海の湿気を顔面にモロに受けるようなところなので雪の量そのものはワールドクラスだ。ただ悲しいかな、同じタイプのスキー場があのアライであり、こちらの方がずっと規模が大きく東京に近くて宣伝もさかんに行われている。そのためシャルマン火打は東京の人間には知名度がいまひとつというスキー場だ。
 とはいえ、私がスキーを始めてから開業した数少ないスキー場で、今回の降雪時の遠征にふさわしく、まだ行った事が無いスキー場。しかもこの日にイベントがあるというので2日目のスキー場として選んだ。
 2日目の朝、直江津のホテルを出た時には雪交じりの雨が降っていた。非常に寒かったので、山の上は雪に違いない。あまり心配もせずに高速道路に乗り、能生ICから山の中に入る。そしてけっこう急な山道をエンヤコラ登る。予想通り、雪が強くなってきた。シャルマン火打の駐車場には9時ごろ到着した。
シャルマン火打
ちょっとガスっていた。
クワッドが伸びているのが見える 
シャルマン火打  
かなりの雪だった
シャルマン火打
足元から「リフト券見せて」
ぎょっとするなあ
シャルマン火打
かる〜くストックをさすと・・・
シャルマン火打
スノボの本来の姿だ
シャルマン火打
カニいっぱいの汁。
能生はベニズワイガニの水揚げでも有名だ
シャルマン火打
かじったような跡だ   
シャルマン火打
どこ滑ってもいいよん
 さて、到着したはいいが、どうもガスっているようだ。まあ、それはヨミ通りのことなので仕方ない。とりあえず新雪を楽しめればよいのだが、リフトがちゃんと動いてくれることを祈るしかない。
 センターハウス内では「今日はシャルマンスノーカーニバルの日です!」とあって、なにやらイベントの受付(レースをやるらしい)とか、カニ汁の振る舞いの準備とかで人だけは多くて賑やかだ。ところがゲレンデに出たらかなり雪が激しく降っていた。ううむ、みんな楽しみにしていただろうし、天気が良くなるといいなあ。とりあえずクワッドに乗って最高地点にいくことにする。
 ここは新しいだけにレイアウトが非常に機能的だ。この大動脈であるクワッド1本で、すべてのコースにアクセスできるのは便利だ。このクワッド脇あたりのコースは圧雪されないコースであり、おお、もうボーダーたちが泳ぐようにして滑っているではないか。早く行かなくちゃ。1400mの長さのクワッドで山頂へ。ここには各コースへ行く標識があるのだが、コースの「しきり」が無いので、どれがどのコースなのかはっきり分からない。
 まずは無理せず「スノーマン」という中級コースへ滑り込む。おおおおおおおお、なんとフッカフカのパウダーではないか!。ヘリスキーのようなフカフカ感が満点だ。雪をすくってみたが、そんなに感動的なパウダーではない。しかし、大量の「降りたて」はパウダーと全く変わらない浮遊感があるのだ。ううむ、これはいい!。この楽しさはヘリスキーでないと満喫できないものだ。これをヘリ代無しでできるのだ。しまった、明日は有給休暇いれて、今日はここで終日滑ることにしときゃよかった!。この「貧乏ヘリスキー」についてはウィスラーでカナダ人からこんな格言を聞いたことがある。「パウダーデイ(大雪が降った翌日)には、友達はいない」つまり、楽しくて、友達が転倒してもかまってなんかいられない、という意味だ。ここは地理的に景勝地の親不知(おやしらず)がすぐそこだから、「パウダーデイは親不知」なんてコピーはどうだろうか。楽しい新雪時には、生みの親、育ての親でもかまっちゃおれんのだ。とにかく、ストックを突き刺すと手首までズボっといくのだから。
 ただし、油断は禁物だ。こういう場合はあまりいい気になって飛ばさないよう注意しよう。板を外して潜ってしまおうものなら、春まで見つからなくなるのが新雪のオキテなのだ。八幡平のレポでも言ったが、こういうパウダーが想定される場合は、リボンを板に結んで片方を手でグルグルにしてブーツに入れておこう。そうすれば転倒して板がはずれてもリボンがシュルシュル伸びるので、すぐに見つかるから安心して心置きなくパウダーを楽しめるだろう。
 しばらくすると天気が良くなった。もお、私は明日会社に行きたくない!。とにかくパウダーコースをフカフカしながら滑り続けた。トランポリンの上をはねているようで愉快だ。東京からわざわざ来た甲斐があったものよ。言い遅れたが、「シャルマン」はフランス語で「魅力的な」という意味だがそのとおりだ。それにしてもクワッドが機能的であることはすばらしいことだ。
 ちょっと休憩を挟んでからいろいろ滑ってみることにした。地図左の初心者コース側の方にはスタンプラリーをやっていた。センターハウスであらかじめスタンプカードをもらっておき、各チェックポイントにある切符切りのような道具で穴を開けるのだ。その形はポイントごとに異なる。全部そろったらごほうびだ。さらにセンターハウスへ至る第2ペアリフト脇のコースではちびっこレースが行われていた。今日はやけに子供が多いと思ったら、やはりこのせいか。ちゃんとみんなヘルメットをしているかな。もう、飯綱高原のなんちゃってレースどころではないようだ。ちなみにこのスキー場は毎週日曜日は小学生以下はリフト無料だ。少ない商圏人口を逃がさないためにはこういうこともやるのだろう。
 さて、半日券の場合はほとんど飯抜きで滑って有効時刻が終わったら食事にするのが私のパターンだが、今回は楽しみがあった。それはベースでカニ汁とモチの振る舞いがあるのだ。それぞれ100円らしいが、いいだろう。こういうのは必ず混雑するものだから、必ず5分前くらいには並ぶことだ。5人くらい並んでいたが、時刻になったらいっぺんに50人以上が並んでいた。カニ汁はカニのとん汁風だ。でかい寸胴鍋にカニがいっぱい入っていて、それをでかいしゃもじで引っ張りあげて椀に入れまくる。日本海に面した能生の雰囲気があってよい。モチは普通のモチだが、つきたてで大変うまい。東京からせっかく行くならこういう日を狙って行くものだ。
 バブル後に開業するという大胆なスキー場だが、これからもがんばって営業していってもらいた。このサイトの読者のみなさんにもお勧めだ。ただし、大雪の翌日こそ、このスキー場の真骨頂であることを忘れずに。
 パウダーに名残を惜しみながらも昼過ぎにスキー場を後にする。とりあえず世界的な豪雪の聖地である妙高地区(シャルマン火打は地理的には妙高山系の北、火打山の北山麓に広がる)でパウダーを楽しむことができた。しかしここでもうひとつの聖地の巡礼に行くのが今回の遠征の目的であった。それは、上越市にある金谷山(かなやさん)スキー場である。
金谷山(かなやさん)の地図(現地の配布地図)
金谷山 スキー場 ゲレンデマップ  
 なぜ私がスキー場ガイドにも載っていない、リフト1本のスキー場にわざわざ来たのか。それは、このスキー場こそ日本のスキー発祥の地であり、まさに聖地(のはず)でもあるからだ。
 雪国の多い日本にスキーが紹介されたのは明治の終わりになってからだった。明治43年、日露戦争に勝利した日本陸軍を研究するために、交換将校としてオーストリアから派遣されたテオドール・フォン・レルヒ少佐は翌明治44年(1911年)高田師団を視察に訪れた。そこでスキーに関心を持っていた師団長の願いで軍人にスキー術を教えることになった(八甲田山での軍人の大量遭難がスキーへの関心を高めていたらしい)。そして同年1月12日に、この金谷山で軍人を対象に初めてスキーの指導が行われたのだ。レルヒは軍人のみならず民間人、特に教師たちにもスキーを教えたのでこの地でスキーはあっという間に広まった。レルヒは2シーズンここで教え、1912年2月に旭川へ赴き、ここでも軍人や民間人にスキーを教えてから帰国した。
 彼のスキーは平地を移動するノルディックではなく、斜面を滑るいわゆるアルペンスキーであり、「シュテムボーゲン」、「リュックサック」といったドイツ語を日本に紹介したのも彼らしい。また本当のスキー好きらしく、日本に来る時にスキー板を持ってきて、雪の多い地域に配属してくれと頼み、自分のスキーを見本に自費でスキー板を10台作らせたというのだから、もう最初から軍事視察よりもスキーの伝道師を目指していたんじゃないかとも言われている。私はこういう人、大好きだ。
 そのレルヒの銅像がこの金谷山にあるというし、日本スキー発祥記念館という資料館もあるという。これはもう行くのは当然というか、必然というか、避けられない運命なのだ。
金谷山 スキー場
あのリフト1本にかける
金谷山 スキー場
突然、降りだした
金谷山 スキー場
尾根はアップダウンだ
レルヒ
下から失礼します!
スキー発祥記念館
教会ではない。
日本スキー発祥記念館だ!
スキー発祥記念館
こうやって滑ったんだ
最古のリフト
これが最古のリフトだ
 駐車場に車をとめると、その向こう側にこのスキー場で唯一のリフトが見えた。ああ、あそこまで歩かなきゃいかんのかなあ。すると駐車場係のオジサンが寄ってきて、「あんた東京から来たの?。ここのスキー場、東京の方で宣伝しているんですか?」と私の練馬ナンバーの車を珍しそうに見入っていた。周りは長岡ナンバーばかりだ。そうだろう、スキー資料館だけ立ち寄るならまだしも、リフト1本のここに滑りに来るのは相当な物好きしかいないだろう。
 どれどれ、歴史あるコースをちょっと滑らせてもらおう。1回券を3枚だけ買って、リフトに乗った。客は20人もいない。日曜日なのに大丈夫かな。係員に話しを聞いたら、2月1週にあったスキー祭りのときは混雑したらしい。スキー祭りは地元の愛好会が昔の道具と装束でレルヒ時代の滑りを見せてくれたり、あれこれイベントを行うものだ。そう、本当は私はそれに合わせて来たかったのだ。いつもは2月2週目にやるから、1週目には韓国スキーを入れたら今年は1週目にやりますだと言われてがっかりしたのであった。あなたが行くときは事前に調べて、スキー祭りの日に行ってみよう。
 見渡したところコースそのものはたいしたことないが、ここが明治時代からやっていたと思うとちょいとばかり感慨深いものがある。
 まずはメインの白旗山コースだが、圧雪していないのでモコモコしているうちに終わってしまった。もう一度リフトに登ったら、いきなり猛吹雪となった。すごい降雪で前が見えない。私のスキー人生で最大の降雪ではないだろうか。とにかく数メートル先が見えないのだ。たかが標高130mでだ!。なめてはいかん、こんなところで遭難したら、管理人はクビ、サイトは閉鎖だ!。ほうほうのていで白旗山コースを降りる。ところがいきなり天気がよくなった。青空が見え出した。なんちゅうところだ。再びリフトで尾根沿いから回り込む向山コースへ。ここの尾根は登りくだりで、ボーダーにはつらいところだ。しかも向山を降りてからリフトに戻るコースはずっと平坦で、漕ぎっぱなしだ。しかし下りのバーンに出たところで上越市を一望することができる。いい景色だ。
 昔とはだいぶ景色が違うだろうが、明治の人が初めて見たスキー板とは、UFOに出くわしたような驚きと感動があったに違いない。この地で多くの人がスキーという全く新しい道具を知り、何百年も続いた雪との付き合い方や見方が大きく変わったことだろう、てなことを勝手に想像しながら滑ればこのへんてこなコースも一興というものだ。
 だがよくよく考えてみれば、こういうコースのスキー場こそ歴史のあるスキー場といえる。リフトが存在する前からスキーを始めてそのままスキー場にしてしまったから、仕方が無いのだ。最近のスキー場はシャルマンのように少ないリフトをどう架ければどれだけの斜面を滑れる地形か、という機能性が重要だが、昔だからそんなことは考えていなかったのだろう。
 滑り降りてそのまま駐車場へ。ここで板を脱ぎ、レルヒ像まで雪に埋もれた道を歩く。両腕にストックは必須だ。レルヒ像はかなり高い基台の上で軍人らしく背筋を伸ばし、竹の棒を手に直立していた。眼下には上越市が眼前に迫るように見えた。そしてこのレルヒ像もまた上越市の一部だ。私は政治家とか軍人の銅像というのは好きではないのだが、浦佐みたいに国民の税金をかき集めてきた、刑事被告人でもあった政治家の銅像を建てて拝むよりも、価値のあることを教えてもらった人の像を建てる方がよっぽどましであり、末代まで地元の誇りとして伝えられていくだろうという気がした(おそらく地元の人もレルヒを軍人とは見ていないだろう)。商業的にも、他のスキー場との差別化になり、観光資源になっているといえる(私がわざわざ来たのもその証拠だ)。
 さてさて、締めくくりは「日本スキー発祥記念館」だ。ここにはレルヒ時代のスキーの資料や昔の雪国の暮らし、2階にはレルヒの人について詳しく展示されている。雪国に関する資料館はあちこちで見たが、ここはなかなか見やすくていい。お勧めだ。夕暮れまで資料に見入ってしまった。
 今回の遠征2日目ではパウダースキーとスキー発祥地という2つの聖地に行ったが、内容的にかなり濃いものであった。
 ところで今回の聖地巡礼、これで終わったわけではない。もうひとつ気がかりだったのは、高速道路にある妙高SAだ。ここには日本最古のリフトが展示されているという(私は上りの妙高SAに寄ったが、下りの妙高SAにもあるらしい)。SAの建物の2階に行ってみたら、閑散としていた。その端っこになかなか立派なリフトがあった。
 日本のリフトは1946年に札幌の藻岩山や志賀高原の丸池に進駐軍専用のリフトが作られたのが最初で、1948年には草津にもできたがいずれも未認可だった。正式な運輸省認可の第一号リフトは昭和25年(1950年)の赤倉と池の平に作られたもので、当時、長さは1kmほどあったらしい。その池の平で使用されていたのが展示されているペアリフトだ。重量は70kgもあるという。その昔、ペアリフトにいっしょに乗った縁で結婚した人もいたらしい。なんだかのどかな時代だ。金谷山スキー場、滑走感を別にすれば、これもまたスキー好きの人にぜひ行ってもらいたスキー場だ。
orangeline
シャルマン火打 シャルマン火打
シャルマンの車両だ センターハウスは立派だ
シャルマン火打 シャルマン火打
今日はいろいろてんこもりだ! 壁にあるのは「雪煙乱舞」だ。
シャルマン火打 シャルマン火打
受付の飾りだ スキー場のキャラクターか?
シャルマン火打 シャルマン火打
オリジナルのキャラがあるらしい コップも!
シャルマン火打 シャルマン火打
よ〜く読んどくように 肩一直線だ!
シャルマン火打 シャルマン火打
こちらはペアリフトだ ひつこいけど
シャルマン火打 シャルマン火打
みんなで楽しもう 木の間はパウダーの宝庫だ
シャルマン火打 シャルマン火打
初心者コースだ。
遠くにクワッドが見える
一瞬、晴れ間が
シャルマン火打 シャルマン火打
レース大会だ だいぶ天気もよくなった
シャルマン火打 シャルマン火打
ここがチェックポイント この形の穴があく
シャルマン火打 シャルマン火打
絶妙のチームワークだ 「おっ、いっぱい入ってるなあ」
いちいちもったいつけて渡すおじさんも重要だ
シャルマン火打 シャルマン火打
あっという間の行列 まだかなあ
シャルマン火打 シャルマン火打
もちなんかついている場合ではない 100円セットだ
金谷山 金谷山
【ここから金谷山】
妖怪屋敷みたいだ
これだけは言わせてください
金谷山 金谷山
100円です バスの切符みたいだ
金谷山 金谷山
ガスってきたぞ 最高地点で
金谷山 金谷山
第一リフトはどこだったのかな ソリは夕方返してね
金谷山 金谷山
尾根コースだ 白旗山コースを下から
金谷山 金谷山
1本だけのリフト 案内地図はこれだけ
金谷山 金谷山
レルヒ像が見える 上越市が見えたぞ
金谷山 金谷山
晴れてきた 下は平坦だ
金谷山 金谷山
向山コースだ レルヒ像を下から
金谷山 金谷山
レルヒ像から上越市を見る 昔、ジャンプ台があったらしい
金谷山 金谷山 スキー博物館
レルヒ像から記念館を見る 展示品だ
金谷山 スキー博物館 金谷山 スキー博物館
なかなか見やすい ビデオ上映もある
金谷山 スキー博物館 金谷山 スキー博物館
誰だ、こんなの教えたのは スキー術の本だ
金谷山 スキー博物館 金谷山 スキー博物館
オーストリアのレルヒの部屋を再現したとか・・・ 愛用の防寒手袋。たまらん!
金谷山 スキー博物館 金谷山 スキー博物館
なぜか、あちこちで見る スキーゲームだ!。
この日本製品はシャモニーや韓国でも見たぞ 
 
 
スキー
日本スキー発祥記念館 チケット博物館などが好きな人は、ぜひ日本スキー発祥記念館、ぜひ行ってみよう!。
スキー
 シャルマン火打スキー場(公式サイト)
 金谷山スキー場(公式サイト)
 マリンドリーム能生
 ベニズワイガニ
 日本スキー発祥記念館
Goods
HOME国内スキーレポート > 2005-9 (シャルマン火打、金谷山)